以下、転載。
●大物を釣る
高山市から、白川郷へ抜ける小鳥峠を降つたところより、道を小鳥川の流れに従って少し行くと、江黒という小さな部落がある。ここの名家であるT氏の家に厄介になり、小鳥川や、その流域の谷々へ、イワナ釣りに案内してもらったことがある。流石、T氏はうまい。とても釣り上げられないと思うような、木の枝の一ぱい倒れこんでいるようなところでも、平然とつり上げてしまう。私には、一匹もかからない。クサッてみても、ズブの素人で、しかも川に馴れていないのだから仕方がない。川に馴れるということは、どうもあるようだ。いつも通っているうちに、川筋を覚えてしまい、そこの土地出身の人に、不思議がられ驚かれたりするようになると、どこの淵には、どの程度のものが、何匹・あの石の下を流せば必ず。そのときの体の位置は。などと、目鼻が立つようになってくる。これは、郷里の益田川筋、高山市の近郊の谷、そして後年、三シーズン山小屋暮らしを過ごした、黒部源流地方の谷や沢で充分感じたことである・・・。
もう半分投げやりになって、谷を下って来ると、大きな淵に出た。滝が落ちている。こんな見晴らしのいい広い淵なんかで、かかるもんか。でも、どうでもいいや。と思いきりテグスを長くし、大きなミミズをひっかけ、うんと遠くへほうり込んで、トカゲをきめこんだ。
もうそろそろ帰ろうかと、竿を上げようとすると、間の悪いときには悪いもの、鈎がひっ掛かって上がって来ない。いろいろやってみるが、とれない。ついに頭に来た私は、力いっぱい引っぱると、竿が折れた。折れた竿をなおも引っぱると、川底から重いものが上がって来る。沈んだ流木を引き上げる感触である。ますます腹が立ってグイグイ引っぱると、水面に浮いてきたものがある。みると、大きな岩魚だ。全身紫色の巨大なやつ。チクショウメ。どこまで俺をカラカウのか。と力いっぱい竿を引く。するとどうだ。その岩魚が手前に引かれてくるではないか。かかっている。とたんに、手が足がふるえる。どうして上げたのか、はっきり記憶はないが、ただ糸が〇.四だから慎重に慎重にと自分にいいきかせていたのと、気づいてみたら水の中に飛込んで、しっかり魚をかかえていたことだった。
ついに、私の竿にも、岩魚がかかった。ゆうに三十五○(たぶん漢字のcm)は越えようという大物だった。竿もなにもかも川にほったらかして、魚だけ持って、釣ったァ釣ったァーと小屋へ駆けこんで、笑い草となった。焚き火の炭をつかって、○(即?)製の魚拓を作ったが、仲々出来なかった。が、これは、私の記録となった。昭和二十四年、岐阜県大野郡清見村江黒ソーツイ谷男滝落口。
昭和四十三年十二月発行