2010-07-10

イワナばなし4

以下、千種区の某同人誌から転載。

●双六小屋のあけくれ

10年ほど前の黒部川上流は、まだまだ多くのイワナが穫れた。何しろ、ぼくのような素人が行っても釣れたのだから。
姫田のおやじは例の黒部のテント場でイワナの薫製を作っては、双六小屋へ運ぶ。小屋ではビニール袋に版?家守洞春手刷りの「名物岩魚ほしか」のラベルと一緒に詰める。これが上高地や蒲田温泉で土産物となるのであったが、希望者が多くて、店頭ではなかなかお目にかかれないシロモノであった。そのほとんどが、旅館からの大量申込と予約者への分で消化されてしまったから。
「ほしか」の制作が興味をそそるのと、黒部上流の秘境の魅力もあって、テント場行きの希望者が多かったが、キセルをくわえてニヤニヤしていても、姫田のおやじの選考試験はむずかしかったようである。小舎もいわゆる山小屋の名残りをとどめていて、囲炉裏にあたるところに大きなストーブとおやじをデンと置き、まわりにはいつも話しの花が咲いた。こんなときのランプの光も味なものであった。
東京の料理学校の女の先生と女生徒を案内したときのことである。まさに深山幽谷の境にあるテント場のあたりの風景に見せられた彼女たちは、もう感嘆詞の連続ではあったが、姫田のおやじの「岩魚つり」の腕にはあっけにとられていた。誰かが「魚が吸いつけられてくるみたい・・・」と、もらしていたがまさにそのとおりのありさまだったが、おやじに言わせると「別にむずかしいこってないんじゃぜ。俺リヤァ 一・二・三 一・二・三って竿をふっとるだけや・・・。こんでも魚は少のうなったんやぜナ。昔やァ、両手で魚をどけにゃ、顔も洗えんし、オマエ、川ん中なんか歩けすかい。魚(イナ)で魚(イナ)滑って滑って・・・」こんな話を半信半疑で聞けるくらいイワナはいたのだ。
姫田のおやじが午前中の獲物をシートの上にひろげる。これは壮観。シートの上にイワナの山が出来る。料理学校の先生大いにハリキッテ生徒をトクレイして二度とはやれないだろう「イワナ寿司」の実地指導。「タレ」だとか「マナイタ」だとか取り出しているとき、ころころところげ出た小さな缶。おやじそれを拾いあげ、ラベルをチョットみて、そのまま黒部の流れへポイ。瞬間あっけにとられた女の先生あわてて「あらあら、それぇ何とか印のワサビよ。それがなくっちゃ・・・」とかなんとかワメキながら追っかける。おやじはニヤニヤして大きな草の菜を取り出して皆の前へほうり出す。もちろん生徒の女の子たちにはわからない。天然ワサビときいて、またまた歓声。おやじが釘でこん気に穴をあけた空缶のオロシ金でおろし、それを包丁の柄でしばらく叩く。かくて、黒部の秘境にて味わう天然ワサビ入りのイワナ寿司の舌ざわりは忘れえぬ思い出となった事であろう。「あのワサビ思うたより辛かったろ。実はホカッタ物と同じもんをちょこっとまぜたんや」とコッソリ知らせてくれたおやじの言葉を聞いたとしても。

昭和四十五年十月発行